midnight express

趣味は社会学、哲学、麻雀

精神

 最近色々あって、精神的に不安定になっている。あの時、この発言をしなかったら...、この行動を起こさなかったら...、この感情に至らなかったら...。自らの行動を悔やみ、後悔し続けている。純粋に物事を楽しいと、嬉しいと感じることが出来ない。友人に相談することも難しいので、ネットの海に吐き出させてほしい。また、思考がまとまらないま書いているので、言っていることが少しづつ変化すると思うが、思考の過程として受け取ってほしい。

 最近、嘗ては好ましく思っていた「周りに合わせることが上手い」自分というのを嫌悪している。別に、周りに合わせた結果、特定の誰かを傷付けた訳じゃない。仮にそうだとして、自分大好きな、自己中心的な僕がここまで思い悩むことはなかっただろう。端的にいうと、ある特定の集団のノリに合わせた結果、今まで自らと、緩やかな、あるいは深い関係性を構築していた人たちとの関係性が今にも崩壊しようとしている(と少なくとも僕は感じている。)僕は自然に、あるいは軽率に、自らを周囲のノリに合わせる。その結果として、今まで気付かない内に崩壊した関係性はなかったか、自分を省みている。

 嘗ての自分が好ましく思っていたように、周りに合わせるというのは通常、望ましい行為だ。家族と話す自分、友人と話す自分、教師と話す自分、上司と話す自分がすべて同じという人はいないだろう。僕たちは自然に自分を変化させる。そして、世の中というのは難しいもので、万人が評価するような行動は存在しない。だからこそ、何かしらの行動を起こさないと生きていけない僕たちは、必ず何かしらの関係性を崩壊させていると言うこともできる。そして、僕たちが進むことが出来る現実は1つしかない。無数の未来を経験し、比較し、一番良い未来に進むと言うことは不可能だ。そのようにして現実は進み続ける、死によるドロップアウト以外に止まることすら許さない。関係性の崩壊を強いながら、世界は迫ってくる。

 そもそも、なぜ僕がここまで思い悩む結果となったのか、今後何に気をつけたら良いのか、少し僕が思ったことを述べさせてほしい。自らが完璧な存在じゃないということ、だからこそ全ての人と友好的な関係を持つ、そして持ち続けることが不可能ということは分かっていた、というか今までの人生において経験してきた。やっぱりどうしても合わないという人はいるし、自分が変わってしまって幼いころのように話すことは出来ない人も沢山いる。そのことは寂しいし、悲しい。しかし、ここまで思い悩む結果となったことはない。なぜ、ここまで自分が今思い悩むのか、その理由はいくつか見つけることが出来た。第一に、周囲のノリに合わせただけであり、自分が積極的にその行動を行った訳じゃなかった。第二に、関係性が自然に崩壊したという訳じゃない(多分崩壊したとしたら意識的に相手が関係性を断ち切っている)。

 

続きは明日